2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

私たちは一重人格…。

あまりにも数が多いからことさらに言わないだけで、私たちは一重人格者の群れなのだ。「人格者」と単独で使う場合は、高級なという意味で使われるわけだが、しかしこの使い方そのものが寂れつつあるか。いま30歳より下で、他人のことを「人格者」だと褒め…

アイポッドが売れて音楽愛好家が増えている?

池田先生、なんでアイポッドが売れることがすなわち音楽愛好家がふえている証拠になるのですか? 私の印象ですが、アイポッド(なんでみんなかな書きしないのかね)の全ユーザーの5%くらいはマイナーチェンジのたびに買い換える富裕層、10%はたぶん音楽…

逆接の「も」

猫猫先生、だぶんアニメかアニメ関連の文藝が主要な影響源だとおもいますよ。ウィキペディアが主要な影響源というのは感覚的に肯えない。よそでまともな文章体験をした学生が(しかしまともな文章体験って何だ、とも思うが…)、ウィキペディアの記述に触れた…

勝つか負けるか

柄にもなくスポーツものの映画なんか見て面白い! と膝をうったりなんかしている。スポーツには集団競技など勝ち負けがはっきりしているものがあって、芸術みたいに多様な解釈を許さないのが興味深い。…と書いていて思い出したが、写真以前の美術などにはは…

民主主義の残酷

民主主義の残酷とは、民主主義の旗手が、民主化した社会からは相対的に「権威」に見えることによって、民衆によってうざいと感じられてしまう、ということである。ほらほら、いっぱいいるでしょ、誰それは偉そうにしないところが偉いっていう伝が、21世紀…

民主主義とはへんてこなもの、善悪という最大の錯覚

善悪という視点を捨てているから民主主義は面白くてへんてこなのだ。「よりまし」、というのは「善い」ということと全然違うし、「より善い」ということとも微妙に違う。「よりまし」という視点に未来はあまり含まれていないが、「より善い」ことは、「より…

「私」と「ビンカー」、存在するのは、どっち?

ビンカーというのはリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』で言及した、友達のいない児童の架空の「友人」の名前である。その児童の人格と、ビンカー、どちらが存在しているのだろうかと考えたら、児童本人の人格が存在していて、ビンカーのほうは虚構…

マドンナと子門真人、幸せなのは、どっち?

不幸か幸福かという基準も、善悪とおなじく古くそして間違った基準だよな、と思うが、とはいえ池田信夫先生の議論への感想である。子門が「およげたいやきくん」の歌手で、作品がメガヒットしても印税ははいらなかったというのは有名な話で、池田先生にかか…

養老先生…

ほんとうの環境問題作者: 池田清彦,養老孟司出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2008/03/01メディア: 単行本購入: 7人 クリック: 178回この商品を含むブログ (50件) を見る環境問題は石油文明たるアメリカの問題ということを言っていて、ハハア成程とおもってい…

ありふれた技術は自然に近い

高度な技術は魔法に見えるという言い方があるけれど、技術のユーザーの側からしたら少し違う。ありふれた技術は自然に近いというのが本当ではないか。便益にいちいち感心してはいられないからである。

堺屋太一緊急寄稿「厭な予測がかなり当たっている」

週刊朝日2008年7月25日号。平成も、二十年なんだよな…。 http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/searchdiary?word=%ca%bf%c0%ae%bb%b0%bd%bd%c7%af

和歌山カレー事件の真犯人はほかにいるかもしれない、らしい…

…うちはめちゃめちゃ亭主関白やから、ワシの命令は絶対。言うこと聞かないとすぐ鉄拳ですわ。……そうそう、ワシは2回、ヒ素飲んでます。1回目はなめただけ。2回目は耳かき一杯分。そんな量でも、2回とも死線をさまよっているんです。……保険金詐欺のためな…

道徳教育より、倫理学教育を

週刊朝日2008年7月25日号27ページの囲み談話は疑問を感じる。教育者が不祥事を起こしたら、どうして道徳教育が行えないのか。論理的ではない。まあもともと道徳教育なんてしてもらわなくて結構なのだが。義務教育は小学校から単位制にして、飛び級…

なぜ利潤の追求が歴史上忌避されたのか

池田先生が資本主義の発生について議論されている。http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a02573887ab466cdeb6f8f5ee1a11447利潤の追求について、その起源に先生は首をひねっておられるけれども、それほど不思議とも思えないのだけれど…。要するに、秀でた個…

エンターテインメントの終焉

それは、まあ、昭和とともに終わっていたのだという気もする。平成のこの20年間は、個人の発見ということに人々がのめりこんでいたのだと思う。エンタメは、ビデオというかたちで、マンガ本というかたちで、文庫本というかたちで、携帯ゲーム機というかた…

実験の終わり

フィルムセンターの小ホールの方で、80年代の自主映画を特集している。今日とさきおとといと2回ほど見に行った。 私は、戦後の軟文章のすべてを悪貨として疑うに到ってしまった。http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080521/p1 文章どころではなく、映画…

過当競争…

たったいま新宿から帰ってきたところ。松竹のピカデリーのビルが出来上がっていて、びっくりした。早い! もう来週からオープンだそうで、しかし、いきなりバルト9とピカデリーと、シネコンが乱立して客の取り合いにならないのかしら…。ドンキの前に立って…

世の中はちゃんと働いている人のものだ

100円ショップでぼんやりしながら裁断済みの野菜パックをかごにいれてレジに並んだら、レジ打ちの韓国人のねえさんが、そのパックが期限切れであることに気付いて、新しいものに交換してくれた。感激して、そのねえさんにチップ千円はずんだ、というのは…

カミンスキー、好きか嫌いか

蓮實せんせいのお言葉だけを読むためにユリイカを買ったのだが、危惧どおり、せんせいはカミンスキー「だから」スピルバーグがお好きであらせられるようなのだね(ぐちゃぐちゃな敬語だ…)。要するにせんせいは暗いから最近のスピルバーグが好きなのだという…

もてたきゃ生物学の本を読め

しかし私は知っている。もてたい奴が自己の生物学的限界を超越したい幼稚なまでに純粋なプラトニストであることを…。

ミスト論議

某監督がしつこく『ミスト』をけなしている。あんな自決は不自然だし許せないという主張なのだが、『ミスト』は別に自然さを演出して観客を感心させるための映画ではないからねえ…。そんなこといったら、あんなバケモノは現実にはいない、ただのCGだって話…

カール・セーガン

いま図書館にあるカール・セーガン「コスモス」(コゥズモウと発音するらしい)を借りて見ている。面白い。いやあ、科学っていいよね。20代は小説とか思想書ばかり読んでたけど、いやはや、最近10代の頃にもどったようで、理系書を読むのが楽しいのだ。↓…

映画狂にとってのスピルバーグ、映画狂が世界を征服しているという幻想

ああ、タイトルで言い切ってしまった。でも、そういうことだよね…。それは確かにスピルバーグ(1946年生まれ)は映画狂で、映画館に入り浸っていたが、それだけではハリウッドのスター監督でいつづけられないのである。ピーター・ボグダノビッチ(193…

ゲームのおもいで

ファミコンの前に、ゲームウォッチというのを買ってもらっていた。値段はおぼえていないが、三千円くらいだったか。黒い電卓のようなデザインで、中央に液晶パネル、両脇に操作ボタン。科特隊基地を襲撃する怪獣をウルトラマンが迎え撃つ、という内容のゲー…

真の記憶の回復…

いや、ファミコン買って〜と親にせがんだ記憶が甦ってきたぞ…。みっともないから抑圧していたのか(笑)。それとも蓋然性に忠実たろうとするあまり、私は偽記憶をでっちあげつつあるのか…。

カセットオーディオのおもいで

恥さらしのついでに、カセットオーディオの思い出も書いておこう。たしか最初に買ってもらったのはTEAC製の白い再生専用機で、まあ廉価なもので、パッケージングもそっけなかったので、「なにこれ、だっせ〜な」と思いつつ我慢していた記憶がある。まったく…

「養老孟司先生世代の脳は狂っている」

養老孟司先生世代の脳は狂っているhttp://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/28977297.html へ?それって、例えば、思春期に空襲体験があったとか、そういうことでしかないんじゃないの?それまでの軍国主義日本における「戦争」なんて、国内ではイメ…

「デタラメな商売はもう終りにしませんか」

デタラメな商売はもう終りにしませんか http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51598150.html こちらは賛成。その理屈には。しかし商売を終わりにするかどうかは当人が決めることであって、論敵が容喙することではない。弾圧してはいけないのである…

弱い悟りならだれでも啓けます

火あぶりにされながら心頭滅却すれば火もまたすずし式の、強い悟りは、誰にも啓けるというものではありません。しかし、死ぬの怖いけど、その怖がってる時間は生きてる間に怖がっているわけで、怖がろうと怖がるまいと結局死ぬんだから怖がる分だけ、時間、…

死体を見ていないことへの準備

少し離れたところからならば、私は、飛び降り自殺体や、線路に飛び込んだか落ちたかした事故死体を見たことがある。とはいえ、私は、ろくに死体というものを、それも無惨なそれを見たことはない。写真や映像でいくら見たって(見たが)、その場に自分もいる…