2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

震災日記・特別版

あまり外に出ないで本を読んだりDVDを見ていたりしていただけなので、感想しか書くことがない。有限責任と無限責任の違いというのを、ネットのさかんなバッシング記事を見て思うのである。私も東京電力にあきれた口だが、結局は彼らも15年ほどまえのオウム真…

『多重人格そして性』

有料配信があったので意外にさくっと見れてしまった。アマゾンのマーケットプレイスでは6000円だなんて値がついていたが…。『YOYOCHU』で使われていたのは、わりと最後の核心部分からのフッテージであったのだと知る。だから、この作品自体はそんなに怖いも…

『るにん』

島流しの島の生活を扱った時代劇。同じ題材をつかった類似の作品があるのかもしれないが、私は時代劇に詳しくないので、とても新鮮だった。メタ時代劇というか、時代劇らしくない、しかし本当はこうだったのではないかというような時代劇をつくろう、という…

『獄中記』(佐藤優)

興味があったので全体に目を通しておこうと借りたのだが、冒頭から、「よくこのような状況に和田先生はよく耐えることができたものだと思う。」(「よく」の重複)「マルスク主義」とあってのけぞる(ともに単行本版4ページ)。もちろん著者ではなく出版社…

言論弾圧の予告?

「獄中生活を経てはっきり実感したが、僕の政治倫理は徹頭徹尾キリスト教的で、しかもプロテスタント的である。類型としてはカルバンに近い。しかし、僕自身はカルバンは決して好きではない。知らず知らずのうちに恐怖政治を行うのがカルバン・タイプである…

震災日記

渋谷駅前のスクランブル交差点の写真。誰かの落とした野球キャップ。 徒歩通勤にも飽きたので、外苑前から渋谷までちょっとの距離だったが、銀座線に乗ってみた。おかげで『YOYOCHU』の上映時間に間に合った次第。文明生活である。映画館で映画を観るのは、…

震災日記

静かな渋谷、青山というのは、そうなった原因を考えさえしなければ、わりと好ましい。ずっとこのままでいてもらっていいくらいだ。自炊するのも気ぶっせいなので、ほとんど外食である。昨日は通勤途中に通りかかった外苑西通りのホープ軒でもやしラーメンを…

『YOYOCHU』

私は代々木忠を、日本有数の精神分析家だと思っている。いわゆる実践派であろうか。私は20代のころは、江川達也やらウィルヘルム・ライヒやらを信じていたので、自然と代々木のアダルトビデオ作品も見るようになった。とはいえこれまでに見た代々木の作品な…

『悪魔を見た』

『ダークナイト』にも思ったことだが、なんで正義の味方は悪者を「緊急避難措置」としてただちに殺してしまわないのだろう。まあ、そんなことをしてしまえば、話の先が続かないからだというのはわかっているが…。というのは、つまらないつぶやきでしかなくて…

震災日記

仕事中にフラッシュバックに近い感覚の体験をした。私は今年の正月に仙台に行って、長町のシネコンで映画をみたばかりだったのである。フラッシュバックしたのは仙台駅の構内のみやげもの店や、一息ついたさいのコーヒーショップの様子で、心のなかにそれら…

「東海道五十一駅」(小谷野敦)

これは面白い。家族圏と社会圏のようなものがそれぞれあって、主人公はどちらからも解離しはじめている(「悲望」の後日談である)。不安が主人公にとりついて、安定した帰属先を得られない主人公の不安を増幅する。これを読んではっとしたのは、ヨコタ村上…

死刑宣告としてのカメラワーク

日テレ系の放送局だったか、柳田記者という方がいて、私も柳田だからちょっと親しみがわくのだが、彼が岩手の石巻港の津波映像を撮ったらしい。のちに繰り返して放送される際には、細かくトリムされたようだが、迫り来る津波を背景に自動車に慌てて乗り込む…

私は島田雅彦の愛読者だった

小谷野さんが『現代文学論争』で島田のデビュー作を貶していて、何をいいたいのかがわからないとまでいっているが、わからないもなにも、ああいう文章を表現したくて表現したのに決まっている、と思うのだ。「生まれたときからテレビ漬け」の世代がはじめて…

震災日記

交通情報をいちいち取得するのがわずらわしかったので徒歩通勤にきりかえた。アパートから青山通りへ出て渋谷に向かうだけの道のりである。青山一丁目あたりの松屋に入ったら、ちょうど私が入ったすぐあとで閉店になってしまった。朝の8時半とかなのに。理…

老人の心理学と、若い人へ

石原慎太郎の宗教観はあまり云々されなくて、『法華経に生きる』などに、宗教組織とのかかわりをみずから開けひろげに語っているので、嫌っている人も読めばいいと思うのだ。石原の天皇崇拝への嫌悪というのも、人格神観念の否定という意味からいえば、ま、…

震災日記

といっても、私の周囲はさしたる被害を受けたわけではない。じわりと社会のもろもろの変動をうけて、これからゆっくりと締めあげられる方だ。輪番停電というのも、ちょっと驚くべきことで、現実にたいして私の想像が追いつかない。火力発電所まで止めるのは…

地震

東北関東大震災がおこって正味一日半くらいの時点でこれを書いている。私は地震発生当時渋谷にいて、会社が帰宅困難者の滞在先として使用されることになったので、翌朝9時ほどまでは係員としてそのまま勤め先に留まった。家族とは「Cメール」(auのサービス…

上空からの眺め

日テレのニュース動画でこの動画の存在を知って、すぐに見てからもう丸一日以上か。ビル上部から煙がながれているのをとらえたあとでカメラがビルからそれて、ハドソン川かイースト川かわからないが、川面をとらえる。川面は「平和な火曜日の朝日」をうけて…

悲哀感情、壊れた人間を分析するための理論

私は村上龍の『歌うクジラ』は、宮崎純さんの感想を読んで、じゃあ読まなくていいやと思った口だが、小谷野さんが内田樹の講演記事に触れたブログ記事を読んで、ふと思ったことがあった。私もかつて内田の本を何冊か読んで、いろいろ疑問が浮かんだのである…

情報処理と躁鬱病

いま、うつ病学会の一般向け手引き書のPDFを読んでいて、ちょっと青くなっているのだが、いろいろあてはまるのである。私がうつ病者をばかにする気味があることは、前に書いたが、そうか、それは自分が双極性の障害をわずらいかけているからなのかもしれない…

フロイト先生最大のウソ

抑圧していたトラウマ体験を思い出せば神経症は治癒する、というのは、おちついて考えたら分かるけれど、ウソである。トラウマ体験の元凶である存在を滅ぼさなくては。アメリカというのは過剰にフロイト的な国家だと思う。トラウマは捏造されるものでもある…

純、ね…。

小谷野さんの『現代文学論争』の純文学論争の項をがっつり立ち読みして帰宅。阿刀田高ではないけれど、純文学という語彙は、個人的には使わない。シリアス文学、シリアスな文学、真面目な文学といったあたりを、私は口にする。とはいえこのブログでも、純文…

『欲』(五所平之助)

これはいいタイトルである。タイトルだけに惹かれて観に行った。渡辺文雄に三國連太郎、伴淳三郎、森繁久彌と、私でも知っているような有名役者たちの若い頃が観られた。とくに三國のはじけ具合がよかった。伴演じる科学者が不老不死の薬を開発せんとして、…

寄生菌類のふしぎ

なにかわれらのあずかりしれない理由があるとしかおもえない光景だが、もちろん撮影スタッフが絵心をだしてもろもろ工夫してもいるだろうが、これもまた偶然のつみかさねにすぎないのだ。ただただ感嘆…。タミフルが騒がれていたときもおもったが、薬で気分が…

佐藤亜紀『鏡の影』

近所のブックオフにはビレッジセンター出版局の版があってこれを入手。帯が際物じみている。この帯は書店の客を困惑させるのに十分だろう。見えない力って、なんだそれは。「絶版」というのはよく分からないことで、つくりすぎたキャベツや公開時期をすぎた…

『交響的協奏曲』(プロコフィエフ)

オケがかなりヨレヨレだが、ロストロポーヴィチは素晴らしい。この動画は観れて嬉しかった。 初演版は現行版とかなり違うようだ。

高校の頃いちばん繰り返して聴いた曲

ライヒのこの盤なのである。プロコフィエフの曲の演奏が意外に多くユーチューブにアップされてて、N響を指揮していたのがエド・デ・ワールトで、この人の名はライヒの「バリエーション」で強烈に印象に残ったのである。カップリングの「シェイカー・ループス…

私は幻想文学に興味がないので

『鏡の影』(未読)にしたって『日蝕』(同)にしたって、『薔薇の名前』から影響受けたんだろ、くらいにしか思わないが…。もし佐藤亜紀や平野啓一郎が『薔薇の名前』を読んでないとか言ったら、怠慢にも程があるだろ、と思うだけだし。俺ですら読んでるのに…

「無意識実在論」

どうも誤解があるようなのだが、無意識というなにかがあるのではなく、これは、心はあくまで広大なものだから、意識に収まらない部分がある、という意味なのである。私は個人的に「意識」という言葉を社会から廃して「注意」という言葉に置き換えたいくらい…

手引きつきの西洋音楽史

「日々平安録」の宮崎純さんが長木誠司の本について書いているのを眺めて思ったのは、西洋音楽は普遍的なものなのか、それとも地域的なものなのかといったことである。さらにはもっと俯瞰したことも思う。結局音楽は余裕のあるときにしか楽しめないものであ…